
スイン・タン
日本人にとって、「甘え」というコトバはどのような意味をもつのであろうか。あの人は甘えている」、「あなたの考えは甘い」といった表現は日常会話であり、普通誰しも特に意識せずに使っている。日本社会にしばしば見られる感情である上に、「甘え」は精神科医の土居健郎によると、日本人独特の心理であり、また日本社会の精神構造の中核をなす概念であると言える。はじめは日本人特有のパーソナリティを理解するために導入された「甘え」というコトバは、今や精神分析の理論構成のため不可欠の概念となり、世界的に高く評価さ れている
日本社会における「甘え」
元来、「甘え」とは子供が両親、特に母親に対して持つ感じ、またはそのような感情の存在を示す行動をさしている。幼児教育教授の中寺見陽子さん(2005)によると、子どもにとって甘えを受けとめてもらうことは、人への信頼感と自分への自信を身につけるために必要である。因みに、母子の場合だけではなく、そのような他者に愛され、他者と一体になる願望も大人の心理である。日本的育児法が無力状態ないしは愛されたい願望を奨励し永続させ、またそのような心理に応える社会構造の形成に導いたそうである(土居、2001)。したがって、自主独立をよしとする西洋より、相互協調を重視している日本社会では「甘え」がずっと発達したと言われている。「甘え」が好ましいか、好ましくないかは別として、確かに日本人の他者と異なる事を避け、自分自身を平均的にするという集団文化としっかり関連しているということは充分ありそうである。
時代の影響
しかし、この頃「甘え」は評判がよくない。土居(2001)はこの観念の最も簡単な定義として、「人間において相手の好意をあてにして振舞うこと」であると述べている。それは、必ずしも好ましい状態を表すものとして用いられているとはいえないであろう。「甘えてはいけない」、「いつまでも甘えるのはよくない」という言い方をたびたび耳にする。しかも日本語辞書で調べると、「甘える」とは「人に馴れ親しんでこびる」とだけ書いてある。近代個人に自立を迫る社会の方向転換において、「甘え」が「依存」と同一視されている。日本社会にも定着している欧米の近代精神の観点により、依存は未成熟や半端者のニュアンスがあり、極めて否定的な状態と定義されている。
さて、この間日本人は新しい価値観に適応しなければならない。戦後の日本は、明治政府が非難され、その結果、西洋化に努め、欧米における個人主儀を積極的に取り入れてきた。従来日本では私欲よりも義理、個人よりも集団が重んじられてきたが、この頃日本人の集団主義が変容させられていることが明らかになった。終身雇用制も崩壊、企業同士の助け合いも批判され、就職ぬきで生活するフリーターという大卒者さえ多くなっている。その中で弱肉強食的な考え方が強くなっていくことで、裕福な人はより多くの富を欲するような競争社会になっている気がする日本人は大体不安を抱いているのではないかと思う。
ところで、集団から個へ変わりつつある戦後の日本は、欧米の先進国に追いつける経済的な目標のため努力しているようである。但し、「甘え」が根強い社会は、西洋にうまれた個人主義を全く問題なくモノのように輸入できるのかと考える。旧来の価値と進行中の社会構造変革の間で、大きな摩擦が生じている点で、結局個人個人に経済的、また精神的な負担を負わせるのではないだろうか。その結果、外人の「個人主義」は、「コジンシュギ」、すなわち「自己チュー」と呼ばれる事になってしまう。「個人主義」として行動するために、自分の社会における位置を十分に認識したうえで、その位置にふさわしい行動を起こす。しかし、この頃日本の特に若者が「個人主義」と呼んでいる中身には、「誰にも迷惑をかけなければいいんでしょ」といった社会を否定するような意味が含まれている。若者の態度や行動が反映するのは個人主義でも、集団主義でもなく、かえって自分を中心に考え他人を思いやらないようにするということだろうと思う。また、自分がしんどい、大変だと考えがちなので、そのストレスなどによる心理的な負担を癒したい願望が強い。社会と人間関係にたいして逃避的であるが、やはり面倒くさくない程度の癒し関係がほしい。それは愛されない子供の回避的な適応のようのではないだろうか。結局、他人との関係を気楽につくる上に、大人や社会に対するフラストレーションが増すにつれ、ターゲットを自分の仲間に変えてしまう。それでいじめが学校の中で日常化され、少年犯罪が増え、あるいは逆に自殺をはかるまでのプロテストを示した。日本人の仕事、生活における不安定さが増すという問題は、日本人が西洋に引かれ、学校、会社を含め日本の組織が安易に欧米の真似をしているせいだろうと思う。個人の自由を標榜するより、自由でいられるための責任感をむしろ注目すべきだと思う。やはり、「甘え」も「依存」も、単に日本人の特徴だけではなく、人間性の根本的な要素のではないだろうか。