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変わる日本の男女の役割「大和撫子」から女系天皇へ

ダニー・ウー

このところ、皇室典範を改正することと、 女性の皇位継承問題は日本社会で非常に注目されている。その議論の根底に潜むのは、 「男と女がこの社会でどのような役を務めるべきだろう」ということに対する日本人の考えなのではないかと思う。 男女の役割はこの百年、欧米社会で激しく変わり、よく議論され、フェミニズムと密接な関係がある。 フェミニズムは伝統的な男女の役割を変える運動と言えないことはないと思う。 十九世紀末以来欧米で広がった婦人参政権獲得(運動はその男女の役割が変わった象徴と考えられると思う。 戦前(には日本の男女の役割が欧米に従って変わらなかったが、戦後)にはそれが激しく変わった。 両親が今まだ住んでいる、僕が生まれた台湾は、昔、日本に強く影響を与えられたので、 日本の男女の役割についての議論は台湾と全く関係がないと言えないと思う。 特に、台湾の70代・80代の人は旧日本式の教育を受けたが、若者は西洋化された中国式の教育を受けたので、 両方の考えに違いがあるのは事実ではないかと思う。その違いとその変化は日本の状況)に似ているので、日本の変わっていく男女の役割を分析しようと思った。

昔の日本社会では男と女の役割がはっきり決定されていた。旧明治憲法は父親が家族の代表として、 家族のために社会に務め、外の世界と接し、国事に携わるべきだという考えを主張した。それに対して、 女は社会の伝統と政府のスローガンどおりに「良妻賢母」、「大和撫子」であり、家事をすることで男を支えるべきだと見なされた。 これは多少大げさかもしれないが、戦前の日本社会が男女の役割をはっきり決めていたのは、否定できない事実だと思う。 その時に育った人間には、今でさえ男と女には違う役割があって、お互いが相手の役を務めるのはだめだと考えている人もたくさんいる。 例えば、国会が皇室典範を改正して、女性の皇位継承の可能性を考えている際に、三笠宮寛仁親王は女系天皇を容認せず、 側室を置くことに大賛成という意見を述べ、伝統的な男女の役割を支持した。もう一つの例は、武士道を深く理解したことを自慢し、 日本の右翼にも人気がある台湾の元総統・李登輝である。彼は女には政治のことが分からないと奥さんの意見を断ったことがあるそうである。

だが、今の日本社会は変わった。伝統的な男女の役割が段々消えて、男が女の役割をすることと、女が男の役割をすることも、徐々に認められるのではないかと思う。 現在の皇太子の「浩宮さま」こと徳仁親王の行動を見ると、その変化は明らかである。 彼は保守的な宮内庁の官僚に対して、話題になった「人格否定発言」を発表するほど、 一生懸命に昔外交官であった妻の雅子様の役目や人生の目標を支持した。浩宮さまは間違いなく、 女性も男性のように自分の生きがいを持つべきだと考えているのではないかと思う。日本に留学している時、 僕のホストファミリの息子さんは育児を、奥さんとの共同作業として、そして大学での日本語会話パトナーは奥さんが妊娠している時、 できるだけ食事の用意をしたが、それは例外ではないと思う。この頃日本の30代の男性は、経済の不景気を利用して、 子供と過ごす時間を増やしているという新聞記事を読んだことがある。この傾向が続けば、将来朝早くから出勤して、夜家族が皆寝てから帰り、 一人で食事をする父親の姿は日本で珍しくなるかもしれない。

伝統的な男女の役割の変化はいいことではないかと思う。確かに、男女の役割を完全に変えるのは難しい。 消防士や兵士や相撲取りのような力が必要な仕事はいつでも男の役割だと考えられるのは、事実かもしれない。 しかし、そのような極端な例以外は、性別を問わずできることが多いだろう。人間の才能や興味を無視して、 単に伝統や習慣を言い訳に使って仕事を性別によって決めるのはおかしいのではないかと思う。「典型的な男」「典型的な女」とは、 どのような人間なのだろうか。それで、その典型と違う男と女を、「男」、「女」と呼べないか。僕は呼べると思う。 それなら、従わなければならない男女の役割は意味が全然ないのではないかと思う。

戦争が終わって六十年の間、日本社会の男女の役割についての考えは激しく変わってきた。それはいいことではないかと思う。 人々に、自分がしたいことをさせてあげるのは、反対しようもないことだからである。

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